fuanteinayoake

fuanteinayoakeそれを君も待ってるんでしょ。

天国最高じゃん

今日、お昼寝から目が覚めた時に、

今までに味わったことないくらいの気持ちよさで

ついに天国にこれたんだと思った。

気温とか、体を包んでいる毛布の感触だとかが全部最高だった。

とろけるかんじってきっとこういうかんじなんだね

目が覚めていくうちに、あぁ、これは現実なんだって戻されたけれど

本当にとてもクレイジーに最高だった。

五月のお昼寝、最高だぜ。

 

そういえば、だんだん耳が悪くなっている気がする。

私は言葉を聞いて処理するときに、

音→言語化→理解という手順を踏んでいると考えたときこの

音→言語化という部分がうまく機能していないのである。

要するに、音は聞こえるけれど、ぼやけて聞こえてなんて言っているのかわからないのである。

そのため、その会話の状況、相手、母音の感じや文字数の感じから相手の発した言葉を推測して当てはめていく。

授業中に先生の言葉が少しずつ聞き取れないともうそこでゲームオーバー

板書をしっかりしてくれる先生なら取り戻すことができるけれど、黒板になにも書かれていなかったら結構地獄。そもそも、みんなが教科書の何ページ目を開いているのかさえ分からないのだから。私的には、教科書のページ数を逐一黒板に書いてくれる先生は最高にいかしてると思う。

そう考えると、私は少し会話する間にも、ものすんごく頭を使っていることになる。

すんなり聞き取れるときはもちろんそんな思考回路をたどってはいないと思う。

しかし、聞き取れないとなると、頭をフル回転させる。空気を読む練習にはもってこいかもしれない。状況だけで、相手の言葉を推測しなければならないからね!

だから私にとって会話は緊張するものである。実は全然違う話をしているのかもしれないと考えると自分から言葉を発するのもおっくうになる。大人数で話しているとき、だんだん言語処理が追い付かなくて宇宙を感じる瞬間がある。

私にとって会話は宇宙。

聞こえる言葉は刺激的。

見える言葉は居場所的。